崖の上のさだし

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落ちても死なない。

コンプレックスって周りの人次第だなと思った話

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ここ最近コンプレックスについてよく考えています。

僕の結論はコンプレックスは周りの人次第じゃないかということです。  

コンプレックスについて考えるようになったきっかけ

先日、就職するという決意表明をFacebookですると、ある友人が電話をくれました。

その時、自信のなさや自己肯定感の低さ、コンプレックスの話になりました。

「わたしコンプレックスだらけだよ」と言うのですが、僕から見ると彼女は言いたいこと言うし、やりたいようにやってるように見えていたので、驚きでした。

『コンプレックス』について一時間ほど話した時の気づきをまとめます。

その友人のコンプレックス

許可をもらったのでその友人のコンプレックスを例に出しつつ書いていきます。

彼女が教えてくれた自分のコンプレックスは以下2つです。

・気を使いすぎる
・背が高い

気を使いすぎる

その友人は一緒にいる人の顔色を伺い過ぎてしまうと悩んでいました。

人がどう思っているか気にしすぎる人はわりと日本人に多い気がしています。

僕はどちらかというとその友人は日本人ぽくないと感じていて、実際自分の主張をはっきり伝えるし、ファッションなんかも着たいものを着てて独特でした。

しかし、思い返してみると電話をくれたときなんかは、絶対に「急にかけてごめんね」とすごく気を使っていることを思い出しました。

背が高い 

その友人の身長は170cmあり、女性のなかでは高い方に属すると思います。

小学生の時から160cmあり、背の順でもいつも後ろで、男子よりも後ろにいるのが嫌だったと話してくれました。

なんでそれがコンプレックスなのか?

彼女と話していると、「なんでそれがコンプレックスなんだろう」と気になり始めました。

相手への気遣いができることは良いことだと思いますし、背が高くて困ることもそんなにないのでは、と思うのです。

気遣いのコンプレックス

気を遣う事に関しては、気を遣いすぎて自分が疲れてしまって嫌だということもあると思うので、そうなのかと訊いてみると「うーんそんなことはない」と言います。

じゃあ気を遣うのがなんでコンプレックスなの?と訊いてみると、うーん。。と少し考えた後に話してくれました。

「多分やけどね。よく『あなた気遣いすぎじゃない?こっちも気疲れしてしまうわ』って言われよったちゃん。それが嫌やった」

『気遣いすぎじゃない?』と割りと否定的に言われる事が多いようで、それが彼女が自分の気遣いな性格をコンプレックスと感じるようになった原因のようです。

背の高さのコンプレックス

背が高い事に関しては、「あそこにあるものとって!」といつも頼まれたり、「背が高いからスポーツできるでしょ?」という偏見が嫌だったそうです。

自分はスポーツができないのに、背が高いからできると思われるそのギャップがつらかったそうです。

事実背が高いこととスポーツができることは関係ないですもんね。

コンプレックスは周りの人次第

ここで結論に戻りますが、コンプレックスは周りの人次第だなと思います。

気を使う事も背が高いこともただの特徴でしかないのに、コンプレックスになってしまっているのは変です。

そして、その特徴でしかないものをコンプレックスにしたのは彼女の周りにいた友人です。

例えば気を遣うことも、否定ではなく「気遣ってくれてありがとうね」と言ってもらえれば多分コンプレックスにはならない。

背が高い事も、ものをとってあげて「いつもありがとうね。自分じゃとれないから助かるわ」と言ってもらえれば、コンプレックスにならない。

そんな風に思います。

とは言ってももうコンプレックスになってしまっている

じゃあすでにコンプレックスを持ってしまった僕たちができることは何かといったら、『環境を変えること』だと思います。

自分の特徴に対して無頓着で居てくれるか、ポジティブなフィードバックをくれる人達を自分で探して、その人達と一緒にいることだと思います。 

そしてそういう人達を見つけるにはとにかく人と会うことです。

じっとしてても相手は変わってくれないので、自分の身は自分で守るしかないです。


個人的には他人の特徴に対して、違うのは当たり前だという前提で無頓着でいられた方が、世界は平和なんじゃないかと思っています。  



以上になります( ´ ▽ ` )ノ